(1)

【熊谷氏のプロフィール】

熊谷さんは、昭和13年生まれで60才、ちょうど昨年還暦を迎えられた名実生家です。

昭和45年に玉松を作出、続いて春松、寿松を作出され、一躍おもと界に羅紗千代田旋風を巻き起こしたことでよく知られています。

また、羅紗千代田の先駆者として地元で玉松会のグル―プを作られ、おもと界の発展に力を入れておられます。

熊谷氏(ご自宅にて)

 六月一三日、梅雨入り宣言から間もなくの訪問でした。
 この日は降りそうで降らない、どんより曇った気温二十度の、やや肌寒く感じられる日和で、関西を出発した時は三十度もあったので、気候の違いを感じながらの到着でした。

「いやいや、ようこそ。遠い所からね」と、熊谷さんがすぐ玄関に出て来られました。
 氏は挨拶をしながら「実生家の棚は、年々新種が生えっから楽しみだよね」と、暖かく迎えて下さり、早速部屋へ通していただきました。

 奥様が立ててくださる抹茶をいただきながら、取材をお願いしましたところ「私の知っている限りならね」と快諾してくださり、早速取材をはじめました。


【除雄ヘラ】

 まず「私は、除雄はこれでやるんだよね」と、ほてい竹製のヘラを見せてくださいました。

「爪楊枝や串、金属の道具ではうまくいかないね。良い仕事をするには、良い道具を使わないと」と、使い方を説明してくださいます。

「年季の入った物や新しく作った物などを揃え、それぞれのへらの刃先の角度を変えておくと奇麗に取れるよ。おもとの花の雄ずいは、がくの先に付いている物や奥に付いている物など色々あっからね。形に合った物で取ると奇麗に取れるよ」

「ヘラに静泉と銘が彫ってありますね」と伺うと、「静泉というのは、実生家としての私の雅号でね、よろしければ記念にどうぞ」と、一点いただいた。このヘラは手に馴染みやすく使い易そうです。

 つぎは交配の為の除雄の話です。
「葯が弾けない内に除雄をしておかないとね。ル―ペで見ると交配する前に虫などが花粉を雌しべに結構付けているよ、タイミングが大事だね。葯が弾けてから、これを取っていては、花粉が雌しべに付いて自家受粉となってしまうからね。その意味でこのヘラは上手に除けるよ」

 福島のなまりがやさしく響きます。

【いつのまにか夢中になっていた】

─おもととの出会いは?
「昭和三五年頃からでね。いわきの故鈴木康資氏が千代田の松の図を作出されたことと、氏のおもと歴が新聞記事となって、それを読んでからですよ。それがきっかけでしたね」

「その当時、私は郵便局の外勤をやっていたもんだから、訪問した先々に奇麗なおもとがあると、興味をもって見せてもらったりね、縞の大葉をもらって来て夢中になったこともあったね」

「仕事で先輩の佐藤捨夫氏を訪問した時に、サボテンのような小さなおもとが鉢に植えてあったんですよ、この時はたまげたね。聞くと羅紗おもとだって言われてね」

「それからは、家と局と佐藤さんとの行き来が日課となりましたね」
「この出会いが強烈だったために自分なりに勉強したよ。今でも取り出して読んでいる本は『蘭と万年青の培養』、『三光園おもと六号』の「三光の松と松谷正太郎」、『万年青大鑑』、『花粉学』などですよ」

 さすがの読書歴です。当時から知識欲が旺盛で、管理培養法も本で身に付けられたとおっしゃいます。


[INDEX] [HOME] [NEXT]